Sの日記(ホラー)九章2

れいちゃんの家からの帰り道、私は決心した。あの『舌切り雀』を借りることを。

祥子さんの事で、私はすでに2人の親友を失っている。

もう、逃げてはいけない。というより、逃げられない。祥子さんはどこまででも私を追ってくる。誰にも頼る事はできない。誰かを巻き込めば、また犠牲者が出る。

れいちゃんのお母さんに言われた。

「また、れいに会いに来てやってね」と。

もしかしたら、私もれいちゃんの所へ行くことになるのかも知れない。それも覚悟の上で、私は祥子さんと決着をつけるのだ。

出来の悪い親父を持つと娘は大変だ。

「祥子さん、明日、会いましょう」

私は、呟いた。

翌日、授業が終わると、私は図書室に足を向けた。そこに入ると、ルカとの会話が思い出されて、少し寂しさを覚えた。

Cブロック3番の棚を目指して、私は歩いた。

目的の場所に到達すると、そこに『舌切り雀』が待っていた。

私はそれを手にとって、カウンターに持っていった。

カウンターの中には、図書係の箕輪絵理香(みのわえりか)が立っていた。

私とは別のクラスの秀才の女の子だった。

「お願いします」

と私は言った。

箕輪さんは、ちらりと私の顔を見ただけで、何も言わなかった。黙々と事務手続きを進めるだけだった。

「ここにサインをお願いします」

そう言われて、私は、傍のペン立てから鉛筆を取り、記入した。

○月×日 舌切り雀 大澤美琴

ちょうどルカの真下になった。

ルカが借りてからは誰も借りていなかった。

箕輪さんは本の巻末に、返却期限日を記入して、『舌切り雀』を渡してくれた。

期限は2週間だった。

私は不安に思いながらも、『舌切り雀』をカバンにしまい込んだ。

家に帰りつき、自室に籠もると、私はカバンの中から、『舌切り雀』を取り出して、机の上に置いた。

それから、日が暮れて、夜を待つのは、途轍もなく長い気がした。

家族と一緒に夕飯を食べるとき、私はつい口数が少なくなった。

もしかしたら、こうして食卓を囲むのも、これが最後になるかも知れないと思うと、涙が出そうになった。

「ミコ、どうしたの? なんだか元気ないわね」

ママが能天気に言った。

「え? ううん。そんなことないよ」

私は無理に笑顔を作って答える。

「ママ、お姉ちゃんのお友達が事故で死んじゃったでしょ」

妹の美紗緒が言う。

「あー、そうだったわね。可哀想にね。ミコが元気なくすのも無理ないわね」

ママはそう言った。

私は何も言わなかった。

夜、7時半をまわった頃、私は自室の窓から、空を見上げた。外は完全に暗くなり、すでに月も出ていた。きれいな満月だ。

机の上の『舌切り雀』を見た。

何も起きなかった。

ただの童話のままだ。本当に何かが起きるのだろうか?

さらに一時間が過ぎた。その間に私はお風呂に入った。

少し肩透かしを喰らった気分だった。なんとなく普段の生活に戻ったようだったが、落ち着かない気持ちに変わりはない。

みんなと一緒に下で、テレビを見る気にもなれない。私は、絨毯に座って、ベッドにもたれかかった。

物音に気づいて、目を覚ましたのは、数時間後だった。

ベッドにもたれかかって、眠ってしまったらしい。頭がぼーっとしていた。すぐにその場の状況が掴めなかった。

机の前に、美紗緒が立っている。

「ん? ミサ?」

私は、何気なく美紗緒の名前を口にした。

美紗緒がゆっくりと私に振り返った。その貌を見た途端、全身に悪寒が走った。

目が吊り上がり、口の周りは血だらけだった。

美紗緒じゃない……。

 

姿形は美紗緒だが、目の前にいるのは美紗緒じゃない。

「はぁ! 祥子さん」

美紗緒は唇を吊り上げて、不気味に笑った。

「ミ、コ、トぉ、先に、殺してやろうか」

私の体は金縛りにあったように、動けなくなった。気のせいか呼吸もしづらい。美紗緒の顔が近づいてきた。

目が見開き、じっと私を睨みつけている。

私は恐怖のあまり、目を逸らせた。美紗緒は私の髪の毛を鷲づかみにした。

「それとも、パパが死ぬとこを見たいか?」

喉の底から、搾り出すような掠れた声だった。

「いや……」

そして、すぐに美紗緒は手を放した。身を起こして、廊下に出て行った。私は、その後姿を見て、気がついた。祥子さんは美紗緒の体に憑依したのだ。

私が寝ている間に、美紗緒は私の部屋に入ってきたのだ。

そして……

私は慌てて、立ち上がり、机の上を見た。そこに置かれているのは、あの『舌切り雀』ではなかった。

初めて見る表紙だ。

「祥子の日記」と書かれていた。

「ああ!」

私は両手で口を覆った。

まさか!

美紗緒は私の部屋に入ってきて、この日記を見てしまったのだ。これが、祥子さんの、日記……。

私は、それを開いた。

よくある日記のように、日付が書かれて、その下にその日の出来事が記されている。

私はページを捲り、一番最後の文章を読んだ。

『9月28日

もう、耐えられない。もう嫌だ。死にたい。哲郎が憎い。哲郎なんか死ねばいいのだ。 哲郎、死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね。私が死んだら、哲郎を呪い殺してやる』

それを読んだ私は、恐怖のあまり、食べたものを戻しそうになった。

その復讐が、今夜、実行される……。

「キャー! ミサ! 何してるの!」

寝室からママの叫び声が聞こえた。

「ママ……、ママ!」

私は、パパとママの寝室に走った。

ドアを開けて、中に入ると、目を塞ぎたくなる光景が、私を凍りつかせた。

美紗緒がベッドの上で、パパに馬乗りになり、包丁を振り上げていた。

「ミサ、やめなさい!」

パパが言った。

「哲郎、お前だけは赦さない……。私の学生生活を滅茶苦茶にしたんだ。同じ苦しみを味わえ」

「ミサ、何を言ってるんだ? パパわからないよ」

パパは震えながら言った。

「パパ、その人は、ミサじゃないわ。パパが25年前にいじめた宮元祥子さんよ!」

私は叫んだ。

「ええ……? ミヤモト ショウコ?」

「パパ、謝って! 心から謝罪して!」

私は言った。

ママはただ、唇を振るわせるだけだった。

「そんなバカな。もう、昔の話じゃないか」

「昔も今も、恨みは変わらない。問答無用だ!」

美紗緒はそう言って、パパに包丁を振り下ろした。

左の眼球に、それは突き刺さった。

パパは悲鳴をあげた。

美紗緒は包丁を振り上げて、再び降ろした。首の頚動脈に刺さった。鮮血が噴出した。

「死ね! 死ね!」

そう言いながら、美紗緒は何度もパパを刺した。

パパの声は、次第に聞こえなくなってきた。

パパはもう、血まみれで、ベッドは血の海だった。

ママは、完全に血の気を失い、青ざめた表情でそれを見ていた。

美紗緒の突然の狂乱振りに、なすすべが無く、恐ろしさに体を震わせていた。

「ママ!」

私の言葉に、ママは我に返ったように、私の方を見た。

「ミコ、ミサが、ミサが、狂っちゃったの!」

ママの混乱も、正気ではなかった。パパはもう動かなかった。絶命している事はすぐに分かった。

私は、ママに近づいて、手を掴んだ。

「ママ、早く!」

そう言って、ベッドの上から引きづり下ろした。パパがメッタ刺しにされている姿は、私だってショッキングだった。

しかし、事の事情を知っている分、ママよりは冷静でいられた。

「ママ、しっかりして。あれはミサじゃないのよ」

「ええ……?」

ママの顔は放心状態だった。美紗緒がパパの上から、後ろを振り向いた。その顔は返り血を浴びて、赤黒く光っていた。

その目に睨まれた時、私とママは、不思議な力で躰が硬直した。

逃げなきゃ、逃げなきゃ。

その思いで、必死に立ち上がった。ママの手を引っ張った。

「ママ、立って」

「だって、ミサが、ミサが」

「いいから、早く!」

私は、ママの手を引いて立たせた。寝室から廊下に出て、私は必死に走ろうとした。ママはよろめいて、うまく走れない。

すぐにその場に転倒した。

私はまた、ママを抱き起こそうとする。

寝室からドタ、ドタっと足音がした。

廊下に美紗緒が姿を見せた。

もはや全身血まみれだ。ゆっくりと歩いて近づいてくる。手に包丁を握ったままだった。

ママは尻餅をついた格好で、美紗緒を見上げていた。

「ミサ、どうしたの? 何があったのよ。ミサ、ママに何でも話して。ミサ、お願いだから、こんなことはやめて!」

私はもうダメだと思った。

両手で頭を覆って、防御の姿勢をとってうずくまった。

美紗緒は、片足をあげて、ママを蹴り倒した。

「キャ!」

ママは仰向けに倒された。

その上に、美紗緒が馬乗りになる。両手で包丁を逆手に持って、それをママに向かって、振り下ろした。

ママは、辛うじてその手を掴んだ。ママの顔の前で、包丁が揺れている。

「ミコちゃん、逃げて! ママが食い止めるから早く行きなさい!」

「ママ!」

私は大声で叫んだ。

逃げたい気持ちは山々だったが、ママを置いては逃げられない。

「早く行って! 幸せになるのよ!」

ママはこちらを見て叫んだ。

「ママ! ママ!」

ママは力尽きたのか、美紗緒の力に根負けしていた。

包丁の先が、ママの額にめり込んでいく。

ママの両手がだらりと落ちた。

美紗緒は、再び包丁を振り上げ、ママの体を何度も突き刺した。

「いやーーーーーーー、ママ!」

私は喉が掠れるほど叫んだ。ママの体は屍になった。

強烈な血の臭いが鼻をついた。

包丁を持った美紗緒が、ママの上から立ち上がった。

私は震え、歯がガクガクと鳴っている。

もう、逃げられない。

美紗緒の目は尋常ではないほどに座っていた。

「ミコトぉ、次はお前だ。地獄におちろ」

「しょ、祥子さん……、どうして、ちゃんと謝ったじゃない」

震える声で、私は言った。

「だからなんだ。私が毎日どんな気持ちで学校に通ったと思ってるんだ。その辛さが、お前なんかにわかるか!」

「祥子さん……」

「毎日、楽しく学校に通っているお前にはわかるまい。私がどんな気持ちで、7時間、母を待ち続けたか、お前にわかるか!」

私はそれを言われると、何も言えなくなった。

「死ね、死んで私に詫びろ!」

「私を殺せば、ルカを帰してくれるの?」

「ルカだと? あいつは地獄に引きずり込んでやったわ。なめた真似をしやがって」

「そんな、約束したじゃない。ルカを帰してくれるって」

「約束? そんなもの死後の世界には無い」

「じゃ、寺崎さんも?」

「死んだ人間が、帰るもんか」

そう言って、美紗緒は私に近づいてきた。

その時、玄関でバタンと音がした。

誰かが勢い良く階段を上がってくる。私と美紗緒はそちらに気を取られた。

「祥子! もうやめて!」

そう叫んだのは、女の声だった。

その声の主は、私を抱くようにして、守ってくれた。

「大澤さん、大丈夫?」

聞き覚えのある声だった。

「三村先生……、どうして?」

現れたのは三村先生だった。

「遅くなって、ごめんね。怖かったでしょ」

三村先生は優しく言ってくれた。

「先生……」

そう言った後、私は涙が出てきて、言葉にならなかった。三村先生にしがみついて、思い切り泣いた。

三村先生の体から、ほんのりといい匂いがした。

とても癒されて、安心させてくれた。

「綾、どけ。お前には関係ない」

美紗緒が言った。

「どかないわ。この子はね、私の大事な生徒よ。指一本触れさせないわ!」

先生……。

私は感激した。

あの冷酷非道な三村先生が、私を守ってくれるなんて……。

「殺すなら、私を殺しなさい。私はあなたを守ることができなかった。殺されても仕方がないと思ってる」

「先生……、どういう事?」

「祥子、私を殺して、それでもう、この復讐は終わりにして」

三村先生がそう言うと、美紗緒は動かなくなった。

そして、手からポトリと包丁が落ちた。

「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」

美紗緒は何やら呻き声を発した。

そうしたかと思うと、奇声をあげて、いきなり走り出した。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

階段を降りて、玄関を出て行った。

「ミサ!」

私は、立ち上がって、美紗緒を追いかけた。中味は祥子でも、躰は美紗緒だ。

暗い夜道を、美紗緒は走っていく。

私は追いかけたが、なかなか追いつけない。

あの子、こんなに足が速かったっけ?

「ミサ! 待って」

私は必死に走る。三村先生も後を追ってきた。美紗緒は私との距離を、どんどん伸ばしていく。

私は美紗緒に駆けっこで負けたことがないのに。

まっすぐ走ると大通りだった。交差点の信号が見える。

「ミサ!」

私は呼び続けた。それでも美紗緒が立ち止まることはなかった。美紗緒が大通りに走り出た。

信号は赤だった。

その時、一台の大型トラックが横から、走り抜けた。美紗緒の体は、そのトラックの車体の陰に消えた。

トラックが急ブレーキを掛けた。

ギギーーーーーーーーーーーーー!

もの凄い音がした。

後続の車も慌てて、ブレーキを掛けた。立て続けにブレーキ音が連なった。

「ミサ! ミサ!」

私は大通りに出て、美紗緒の姿を探した。道路にびっしりと血が飛び散っていた。美紗緒の頭はトラックのタイヤに踏み潰されていた。

美紗緒の首から下だけが、アスファルトに横たわっている。

うつ伏せにひしゃげていて、原型を留めていなかった。すぐに追いついてきた三村先生が、私の目を覆ってくれた。

「見ちゃダメ!」

私は道路にへたり込んで、三村先生の胸で号泣した。三村先生は、ずっと私を抱きしめてくれていた。

美紗緒の周りに、人が集まってきた。

次ページ